電気応用琵琶 その2
電気応用琵琶
便宜的にいうなら「エレキ琵琶」
これを作らねばならない、と思っています。
作らねばならない、というより「通らねばならない」に近いでしょうか。
まずはエレキの創始から、ギターの話を少し。
こちらはギターの歴史に造詣の深い方にとっては、
不正確な部分があるかもしれません。
ご容赦頂きたいのと、可能ならばご指摘お願いします。
ギターというと、
その操作性の秀逸さと、音域の広さから、
昔から楽器の中の花形的存在だったようなイメージが今ではありますが、
実はそうではありません。
エレキギターの発明以前の「ギター」は、
バンドの中では音量が乏しく、脇役ともいえる楽器でした。
これは撥弦楽器、特にスライドバーのような
弦に金属などを押し当てて弾く弦楽器ではなく、
フレットの弦楽器の宿命ともいえるのですが、
フレットで押さえて音程を変える、という構造上から弦の張り・テンションを一定以上は上げられません。
スティール弦にしたり、共鳴胴を改良したりしたものの、
擦弦楽器で音量の豊かなヴァイオリン族や、
生音自体が大きいトランペット・サックスの管楽器、
ドラムスなどの弦楽器と比べて、音量が弱い。
生音が弱いので、マイクで上げようとしてもハウリングを起こす。
ということで、比較的扱いづらい楽器、だったのです。
そこで開発されたのがエレキギターです。
エレキギターの発明者とはだれなのかとは、各説があるようですが、
通説的には、当時流行していたハワイアン音楽のために、
ジョージ=ビーチャムが1931年にピックアップコイルスチールギターを開発した、とされています。
そこから、生ギターにピックアップを付け加えたものから、
ピックアップが複数になり、中の空洞が詰まったソリッドギターに至るまで、
数々の発明が積み重なりました。
ジョージビーチャムはハワイアン音楽を想定して作りましたが、
エレキギターは、ブルース・ジャズの中でもフォーンセクションに音量が負けなくなったため活用されるようになり、
ロックの歴史へとつながります。
ロックはほぼイコールエレキギターの歴史と同じであって、
楽器の開発が、そのままジャンルの創設につながったという代表的な例です。
もし、歴史をさかのぼって1930年代にタイムスリップをして、
「エレキギターなんてギターではない」という批判の声が大きく、
エレキギターの開発に水が差されていたら、
ギターはそのままマイナー楽器のままで、
その後のジミヘンドリクスもヴァンヘイレンもなく、
それはそのままルナシー(笑)もサザンもない、ということになるわけです。
エレキギターがあることで、クラシックギターやフラメンコギターの存在感が浮き出る、
ギター全体が豊かになっている、ということを忘れてはならない、と。
そして、今度は日本の話です。
琵琶とよく比較される、
お隣の三味線界の話だと、エレキ三味線の試みは戦前から行われているのです。
「日本の伝統芸能講座 音楽」(監修小島美子 企画・編集国立劇場471ページ参照)
「三味線でも、長唄の杵屋佐吉が、自身の創作した三弦主奏楽において低音を強化しようとセロ三味線(一九二二年頃)、豪弦(一九二四年)などを作り、一九三一年には当時として最先端の電気三味線である咸弦(かんげん)の公開演奏も行った。」
とあります。
1931年とは、奇しくもエレキギターの発明と同じ年だったわけです。
なんたる先見性。
このエレキ三味線は、エレキギターのような流行・発展につながったわけではないのですが、
その精神は「三味線かとう」によるエレキ三味線の開発に繋がり、
それはエレキ三味線夢弦21として実現されています。
それは、上妻宏光さん、吉田兄弟さん、木乃下真市さんと、
邦楽に限らず広く一般の方も惹きつける
エンターテイメントの溢れる多くの演奏家に繋がっていると思います。
その三味線のお隣
琵琶は、次に続きます。