電気応用琵琶(エレキ琵琶) 1963年
邦楽器をエレキ化する、
というと、なんというか割と色モノ的なニュアンスが出てくるんです。
それは、
エレキギターの安易な模倣であったり、
西洋音楽を取り入れるのではなく、取り入れられる、
という目線でしょうか。
が、
実は違う、というお話。
邦楽器の電気的なアプローチの歴史は古く、
長唄三味線では四世杵屋佐吉さんが1931年に電気三味線「咸弦(かんげん)」を発表している。
1931年はジョージビーチャムがハワイアンのエレキギターの原型を発表した年。
奇しくもエレキギター元年と同じ時代から
日本音楽も電気化の試行がされていたのです。
いいかえれば、
当時、世界中の弦楽器奏者が
音量の増大化と、その手段としてのエレキ化に取り組んでおり、
西ではエレキギターが、
東では咸弦が、エレキ元年を迎えていた、
ともいえますね。
これでよく私がイメージするのが
江戸時代の数学者関孝和が
西洋の文脈とは別に微積分を発見したことです。
そんな邦楽器のエレキ化ですが、
琵琶界での試みは咸弦から遅れること20年、
1951年に鶴田錦史先生が琵琶にコンタクトマイクを内蔵する
「電気応用琵琶」が開発します。
(鶴田先生は琵琶用のコンタクトマイク自体を開発して特許をとったというのだから凄みが違うのですが)
その後1963年には
オーケストラ編成の中に音量を増幅した琵琶を乗せて
『電気応用琵琶による〜春の宴〜』を発表、
当時キャパ300人の銀座ガスホールを満席にして
華やかな文化人も観客に並んだというのですから、
当時の琵琶界の煌びやかさが目に浮かびます。
鶴田先生はその後武満徹と出会い、
映画音楽やオーケストラとの合奏というアプローチに切り替わり、
電気化の試行は止まってしまったのですが、
もし出会いが武満徹ではなく、
冨田勲や坂本龍一だったら、
多分エレキ琵琶に相当力を入れていたんではないか、と。
(武満先生との出会いも素晴らしいものです)
いまとなっては、
津軽三味線ではピエゾとコンデンサーを内蔵した「夢絃」はステージでは標準装備ですし、
箏もいくつかの箏メーカーがエレアコの取り組んでいて、
もはや邦楽器のエレキ化は一般的ともいえますが。
そんな1963年発表の
『電気応用琵琶による〜春の宴〜』
まさか音源は残ってないのでは、と思っていたのですが
なんとカセットテープ音源で師匠が持っていたので
お借りする。
おそらくこのカセットが唯一の音源だという。
貴重すぎる。
この音源、
許可頂いたのでいつかアップしたいのですが、
これを聴くだに、
やはり鶴田先生が夢をみていたエレキ琵琶を
形にしたいな、と。